Webの生みの親はイギリス人のティム・バーナーズ=リー博士です。インターネットの中でももっとも基盤となるシステムであるWWW(World Wide Web)を発明したことで有名です。2012年のロンドン五輪で開会式の大トリとして登場した彼ですが、https://www等 URLによく使われている 「www」の部分は、勿論ティムの考えたWWW(World Wide Web)に由来しています。さて、ティムはどうしてそのシステムにWWWという名前をつけたのでしょうか。
ティムはCERN(セルン)という世界的に有名なスイスにある欧州原子核研究機構に在籍していました。
CERNは、原子核について研究している組織の中では最も権威のある組織で、特に素粒子に関する物理学的な研究を中心に行っているところです。控えめに見ても10年~一世紀規模のとてつもなく時間のかかる研究を続けている組織なので、数千人、数万人の研究者が入れ替わり立ち替わりで研究を進めているそうです。
そんななかで、CERNでは、こういった研究者の情報やデータをスムーズに閲覧できるシステムが開発できないかという話が出始めてきたのです。必要にかられてWEBが作られたということですね。そして、その実現に動いたのが、当時コンピュータ技術者としてCERNに在籍していたティム・バーナーズ=リーだったのです。ティムは、研究に関係のある文献データをとにかく1つのコンピュータに集め、その文献同士を「リンク」させるシステムを計画して、実際にそれを実現したのでした。これが、今でも私たちが使っているWorld Wide Web、いわゆるWebの始まりと言われているのです。
ティムは、このようなシステムを発表する時にどんな名前にするかとても悩んでいたようです。たとえば「The Information Mine」という、「情報鉱山」という候補があったようです。これは頭文字を取ると「TIM(ティム)」になるのですが、さすがにそれは自分本位すぎるとして取りやめたそうです。
他には「文書同士が繋がる情報網」ということで「編み目」を意味する「Mesh(メッシュ)」という名前も候補にあがりましたが、これは「混乱」を意味する「Mess(メス)」という言葉に聞き間違えるということで止めたそうです。そこで悩みに悩んで、世界中に広がる情報網が「クモの巣」のように見えるという訳で、「世界中に広がるクモの巣」=「World Wide Web(WWW)」と名付けたそうです。私たちが当たり前のように使っているWebサイトという言葉のWebの部分はティムのそういうひらめきから誕生した言葉だったのです
1991年8月6日、ティムは世界で最初のWebサイトを公開した。世俗的にはこのような日をWebの誕生日としたことが少なくないようです。ティムがWebを発表した折の目玉となったのが、「Hyper Text(ハイパーテキスト)」と呼称される文書同士を繋げるシステムです。ハイパーテキストとは、その名前の通り「すごい文字」ということです。今では当たり前になっていることですが、文字をクリックすると他のWebページに移動するいわゆる「リンク」という機能がありますね。その機能を持っている文書のことを「ハイパーテキスト」と呼んだのです。ティムがWeb(サイト)を考案したそもそもの目的が、研究員のデータや文献を相互に繋げることでしたからね。ティムは、それらのWebサイトをつくるための約束事を「HyperText Markup Language(ハイパーテキスト・マークアップ・ランゲージ)の頭文字をとってHTMLと名付けました。
ティムはこのようなWebサイトを公開するのと同時に「WWWクライアント」という名前のソフトウェアも発表した。これは、Webサイトを見るための「Webブラウザー」というものです。現在では、たとえば「Internet Explorer」、「Google Chrome」、「Firefox」、iPhoneやiPadでも使われている「Safari」等が有名ですね。
そしてティムはこのような「WWWクライアント」というソフトを無料で世界に公開した。しかもただソフトを公開したのではなく、ソフトがどのように作られているかという、裏側のシステムそのものを無料で公開した。特許も一切取らずにです。これにより、Webは誰のものでもなく、みんなが自由に使えるものとなって、おかげで今のような発展をすることができました。
誰もが自由に使えるようになったWebというのはビジネス的に見ても大チャンスです。これに目をつけて、続々と新しいWebブラウザーが誕生していきます。
まず始めに、アメリカの国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)がMosaic(モザイク)というブラウザーを作りました。Mosaicは画像の表示できるWebブラウザーということでたちまち大人気となってました。
その後、NetscapeやInternet ExplorerといったようなWebブラウザーが1995年前後にリリースされ、このような2つが数年間は2大ブラウザーとして切磋琢磨していきます。1995年というのは「Windows 95」が発売された年で一般家庭に徐々にパソコンが広がりはじめた頃でした。インターネット・アカデミーはこのような年に誕生した。
しかし一方で、複数のWebブラウザーの存在というのは利点ばかりではないという事実もありました。競争が生まれ、Webブラウザーごとにオリジナルの派手な機能を追加しようとして、それぞれに独自のルールを作ってしまいました。「ブラウザー戦争」が勃発です。これが、Webサイトを開発するWebデザイナーやWebエンジニアにとっては大変な混乱を招くことになってしまいました。ぜんぜん同じWebサイトを表示させたいだけなのにNetscapeとInternet Explorerのおのおののルールで2つのWebサイトを作らなければいけないという状況になってしまいました。
そこで、HTMLのルール化(標準化)が必須だということで、ティムはWorld Wide Web Consortium(W3C)を設置したのです。
Webを発明した当初からティムが所属していたCERNでは、本来の物理粒子学の研究に力を注ぎたいという意向があったそうです。そんなときにティムにとって大きな力になったのがマサチューセッツ工科大学(MIT)の教授であるマイケル・ダートウゾス博士でした。マイケルは元々、コンピュータ科学の研究者としてMITで活躍をしていてWebの可能性に、強く興味を示していたようです。
そして、CERNや、インターネットのベースとなる技術を作ったアメリカ国防省のサポートを得て、1994年に、マイケルが所長を務めているMITのコンピュータ科学研究所(LCS、今のCSAIL)にW3Cを設置し、同時にティムもMITに所属することになりました。
しかし、そんなW3Cによる活動は順調ではありませんでした。HTML5の仕様策定が、W3CとWHATWGに分裂するのではないか、といった言説が流れることもあったのです。このWHATWGとは、Webの発展に興味を持つ人たちにより結成された、HTMLとWebアプリケーションに必要なAPIの開発に取り組んでいるコミュニティのことで、2004年、既存団体であるW3C(World Wide Web Consortium)が考えているXHTMLについての方向性、Webサイト構築現場のニーズへの対応に対して不満を表明した、Apple、Mozilla、Operaに所属するメンバーにより立ち上げられたとされています。このWHATWGには誰でも費用なしで参加することができ、WHATWGはHTMLの改善に積極的に取り組んできました。様々な確執があったものの、WHATWGで検討されてきたWeb Forms 2.0はHTML5に取り入れられました。
そして、グーグル、アマゾン、フェイスブック、iPhone等数えきれないほどのサービスやビジネスが誕生してきました。来年の2014年は、W3CがHTMLのルールを作り始めてちょうど20年の節目を迎えます。このような年にW3Cが満を持して「HTML5」という次世代HTMLを正式にリリースしたのです。HTML5は、これまでのWebサイトを作るための技術としての役割だけではなく、アプリの制作を前提としたこと等大範囲な進化を遂げます。Windowsだろうと、Macであろうと、iPhoneでも、Androidでも、どんな周囲でも同じようにアプリを動かすことができるのです。さらに、もっと言うと、パソコンやスマートフォンだけではありません。HTML5が動く場所は、ブラウザーさえあれば、どこだって良いのです。分かり易いところで言うと、テレビ、カーナビ、駅の電子看板等。そして最近は、エアコン、冷蔵庫、洗濯機等モニタを備えているものなら、どこにでもブラウザーを載せて、Webと繋げる動きが毎日のようにニュースになってきているのです。